2019年はドイツに創設された総合芸術学校、バウハウス誕生から100年の記念の年で、世界各地でバウハウス展が開催された。同校は1919年、ワイマールに創設され、ナチスによって閉鎖される1933年までの短い期間であったが、その教育理念は日本をはじめ、欧米の国々に多大な影響を及ぼし、その精神は現代も受け継がれている。

バウハウスには日本人も留学していた。最初の人物は水谷武彦で、彼は1921年に東京美術大学(現・東京芸術大学)を卒業後、1927〜29年にかけて文部省の給付留学生としてバウハウスで学んだ。水谷は建築が専門であったが、1929年、卒業を果たさず帰国した。翌年には山脇 巌・道子夫妻が入学している。厳は長崎県生まれで、東京美術大学に1921〜26年まで在籍。写真と芸術を専門とした。旧姓は藤田であったが、山脇家に婿入りする条件として、道子とともにバウハウスに留学することと、その費用を負担してもらうことであった。1930年、カルフォルニア、ニューヨークを経てベルリンに入り、念願のバウハウス入学を果たした。

当時のバウハウスはデッサウに移転しており、道子はそこでドローイングやテキスタイル、タイポグラフィを学んだ。この頃はナチスの台頭もあり、公立のバウハウスは夫妻が在籍していた年が最後となった。翌年、私立バウハウスが再開されたが、その年の14人の新入生の1人が大野玉枝であった。彼女はファッションとテキスタイルを専門としていたが、8月10日、突然ナチスによって閉鎖され、彼女の在籍期間は3ヵ月あまりとなった。

今日紹介するウルムスツールの考案者、マックス・ビルは1908年にスイスに生まれ、1924〜27年までチューリッヒ工芸学校に学んだ後、バウハウスに入学。1929年まで在籍したが、その期間は水谷と同じである。ビルは建築、絵画、彫刻、デザインなど、その領域は広かった。1950年にはバウハウスの理念を受け継ぐべく、ウルム造形大学の創設に関わり、1955年の開校時には初代学長として就任したが翌年に退任している。

ウルムスツールは、ウルム造形大学の学生のためにデザインしたもので、スツールとしての用途のほか、サイドテーブルや棚、そして丸棒の貫を持ち手とした運びやすさも考えられている。また、この作品には3種の接合方法が見られる。座面と側面の接合部は組接ぎ、側面下部には反りを防ぐ実(さね)はぎ、丸い棒状の貫はほぞ組みなど、いずれも精致な加工が施されている。

私の手元には、マックス・ビル直筆のサイン入りのスツールと、山脇 厳著の「欅」と「欅 続」の初版本がある。「欅 続」には山脇道子の直筆のメモとサインが記されたものがある。これらの貴重な資料は、後世に残すべき文化遺産と言えるものだろう。

バウハウスの理念が反映されたミニマムデザインのウルムスツール
デザイナーのマックス・ビル
天板裏に印字されているマックス・ビルのサインが正規品の証

ウルムスツールのラインナップ。左上からウォールナット、ブラック、引出し付、カラー
スツールやサイドテーブルなど、さまざまなシーンでフレキシブルに活用できるのが、ウルムスツールの魅力

■ウルムスツール
メーカー:wohnbedarf(ヴォーンべダルフ)
サイズ:幅390×奥行290×高さ440㎜
重量:約3㎏
耐荷重:400㎏
材質:本体/スプルース(米唐檜)材、床設置部、貫木/ビーチ材
価格:44,000円(税込)

<問い合わせ先>
メトロクス
https://metrocs.jp/special/maxbill/ulmstool.html
TEL.03-5777-5866