震災後の非常時、暖房なしで暮らせた
そして、断熱・耐震同時改修の威力をまざまざと実感したのは、あの東日本大震災のときです。
2011年3月11日と4月7日の2回、震度6を超える強震に見舞われました。特に4月7日深夜は震度6強で、激しい揺れでした。玄関脇の電柱は今も傾いたままです。わが家はというと、大きな空間があるにもかかわらずまったく無傷でした。珪藻土を塗った壁にも亀裂一つ入らなかったのです。もちろん室内の小物は足の踏み場もないくらい散乱しましたが、住宅本体には被害らしい被害もなく、せいぜい皿の2~3枚が割れた程度にとどまったのですから驚きです。
さらに大いに助かったのは、震災後、暖房しなくても暮らせたことです。停電で暖房ができない状態が続きました。地震の1週間後の3月17日には雪が降るぐらいの寒さでしたが、この間、暖房しないでも15~16℃の室温が保たれたのです(図4)。結局、灯油缶を手に提げて寒空のスタンドに並ぶこともせず、4月の春を迎えることができました。
震災後の波紋
以上は震災直後の出来事でした。この話にはそれ以後にも続きがいくつかあります。
大地震に耐えて暖房なしで暮らせたという話を聞いた人が何人か来られました。皆さん、地震のせいで何らかの形で建て替えか大規模改修工事をしなければならない人たちでした。ある人は地震により大規模損壊と認定されたもののリフォームで改修可能ということで、わが家と同じような方法で大規模改修をしたいとお考えでした。別な人は地盤改良の必要もあって新築、さらにある人はリフォームを計画していて、途中から新築に変更したと聞きました。
いずれも、工務店にこの家と同じように暖かくしてほしいと注文していたようです。あとで会うと皆さんが冬暖かい家になったと大満足しています。リフォームを選んだわが家の二軒隣の家では、冬暖かいばかりか夏も涼しいと老夫婦二人が、ニコニコして暮らしています。
ちなみに、わが家では平成21年夏から冷房を使わないで暮らせています。高断熱住宅で夏涼しく暮らすには、設計の他に暮らし方があって、夏は暮らし方が大きく左右すると思っています。
高断熱リフォームだから出来ること
わが家に来られた方は、面白いことに共通した開口一番の言葉がありました。「ウチもこうしたいのよねえ」です。
それまでの三間続きの和室の襖障子を取り払って大きなワンルームにしたのです。具体的には南側の縁側も床続きにしたので、南に面する明るく広い部屋になりました。西側の部分は天井を外して吹き抜けにしたので、上方向にも広がりました。
この団地は、昭和50年代後半に開発されました。大体同じ世代の人が住んでいて、どこの家でも子どもが離れて夫婦二人で暮らしているようです。小さな部屋の仕切りを取り払って広々と明るい部屋にしたいと皆さん思っていたのでした。
私は、加齢対応として1階ですべて用が足せるような間取りにしました。そのテーマは「食う寝る遊ぶを1ヵ所で」で、ベッドからトイレまでは9歩、浴室13歩、食卓8歩という横着間取りです。大変暮らしやすいと自画自賛しています。
同年代の訪問者は「これでいいのよねえ」といって帰ります。それもこれも、十分に断熱されているからできることです。
二者選択
仙台には近い将来必ず大地震が来るとは前々からいわれていたこと。私は、大地震で潰れるかもしれないなら、被害に遭ってから建て直すか、それとも大地震にも負けない家に直して命を守るか、どちらにしようかなどと冗談に考えていた時期がありました。地震なんていつ来るかわからないもので、そういうことはいつの間にか忘れていたのですが、結局、断熱耐震工事を先にして大正解でした。