ニシン漁に沸いた積丹にたたずむ大正時代の蔵。朽ちた蔵の懐に眠るタモやマツの無垢梁を見たIさんは「この材を生かした家を建てたいと思った」といいます。

横浜市に住まいを構えるIさんは20数年前、スキー旅行がきっかけで富良野の冬の景色に魅せられ、いつしか移住を考えるようになりました。中富良野の宿に毎年通ううち、地縁に恵まれて7年前には土地、さらにその1年後には、積丹にあった蔵と出会いました。「リタイア後を見据えた移住に向け、最良の準備が着々と整いました」。

吹き抜けの窓側には、Iさんの要望で窓まわりのメンテナンス用の回廊を設けた。「椅子を置いて、ちょっとしたくつろぎスペースにも利用してみたいですね」とIさん
段板をナラ無垢材、手すりを国産スギ材で仕立てた階段
2階には手洗いカウンターを備えたトイレ、カウンターを造作したフリースペースを設けた

そして、Iさんは「ホームページで紹介されていた家づくりの考え方や古民家再生の事例を見て、イメージにぴったりだった」という、武部建設に蔵の移築と家づくりを依頼。購入していた敷地は、大雪山系を一望する高台。雄大な山並みの裾野には、森と丘陵地がパッチワーク模様を描くように広がっています。「この絶景を眺めて暮らせる住まいにしたいと、間取りのラフスケッチを描いて設計をお願いしました」。

Iさんの要望で客間として設けた2階和室はそのまま生かし、造作建具や琉球畳を採用
メイン暖房は床下放熱器を採用したセントラルヒーティング。さらに陶タイルを張った土間に、冬の暮らしの楽しみとしてノルウェー産ヨツール社の薪ストーブを設置した

武部建設は、Iさんの要望を反映しながら、蔵ならではの伝統的な貫構造はそのまま生かし、設計を行いました。武部建設にとっては、初めて取り組んだ蔵の再生。蔵は住宅と違い外壁部の柱は3尺間隔なので、窓の大きさや位置などに制約がありました。「それでも、既存の古材も構造として同じ場所に使い、蔵の良さを最大限に生かすことにこだわりました」と、設計担当者は話します。設計担当者は、横浜に住むIさんとZoomやメールを用いながら、時間をかけて打ち合わせを行いました。「おかげで納得のいくプランができました。また、大工さんが古材の墨付け手刻みをしている様子や真面目な仕事ぶりを現すようなきれいな現場を目の当たりにして、家づくりを安心してお任せできました」と、Iさんは施工中を振り返ります。

移築前の蔵の様子。土壁は機械を使うと木材を傷めてしまうので、少しずつ手で解体
現在はほとんど流通しない太い無垢材を自社大工がひとつひとつ解体した
既存の階高が低い蔵の造りはそのままに、大開口と吹き抜けを大きく計画することで、開放感のあるくつろぎ空間を実現したリビング。大きな窓に切り取られた山並みと丘の景色が、室内に上富良野の四季を運び込む
造作カウンターを設けた対面式キッチンからも、景色が存分に楽しめる。「古い蔵は暗いというイメージが一掃されました」と奥さん
キッチンの壁には、ご夫妻の要望でレンガタイルを張り、オープン棚を造作。このほか、造作作業台や容量たっぷりの食品庫も備える

2024年5月、大正の酒蔵は200㎞超の距離を超え、上富良野の地で見事に再生されました。蔵ならではの天井が低い造りはそのままに、吹き抜けを設けて床梁を現しにしたリビングには、大雪山系を望む大きな窓が設えられています。「想像以上に室内が明るく開放的で驚きました。絵のような景色を楽しめる浴室や寝室もお気に入りです。私たちが望んだ以上の終の棲家が実現できました」と、満足そうに語るIさん。また、夏の天気の良い日でも室内は涼しく「改めて武部建設の断熱の良さを体感した」といいます。

寝室横の廊下に独立型2ボウルの洗面台を造作。タイルや水栓金具、洗面ボウルもご夫妻でじっくりと吟味した
既存の蔵に増床し、新たに設けた寝室は大壁仕様。大雪山を望む東のFIXサッシの窓は、縁が見えない納まりにこだわった
「絶景を眺めながら入浴したい」というIさんの想いを叶えるため、浴室にも大開口を設けた
土間と同じ陶タイルで仕上げた玄関。框には、武部建設でストックしていたカツラ材を採用。リビングにつながる出入り口には、スプルスを用いた造作格子建具を採用。突き当たりはキッチンに隣接する勝手口

1年後の秋に迎えるIさんの定年を機に、本格的な2拠点生活を始める予定です。100年の時を経て大工の手技で生まれ変わった眺めの良い蔵の家は、ご夫妻の第2の人生とともに新たな時を刻んでいくことでしょう。

建物の北側は、既存の蔵の造りに合わせ新たに増床、新築。勝手口を設けた西側には、雁木のアプローチを設けた
高台の下から見た様子