あくまでも使う人の視線で。
建築の意義を学んだ修業時代
一般住宅からパブリック施設まで、幅広い領域で数多くの建築を手がける松本純一郎さん。長きにわたって第一線で活躍する建築家ですが、実は幼少期はいわゆる野球少年。高校時代は甲子園を目指し、六大学野球ではキャプテンを務めたほど野球に熱中していました。
建築の道に進んだのは、当初は漠然とした想いから。祖父が橋梁の設計をしていたことや、当時ちょうど東京オリンピックの競技場建設が話題になっていたことで、「建築家」という仕事に関心を持ったといいます。
進学した東北大学では、古い建物や文化から建築を学ぶ建築史の研究室に所属します。災害大国である日本の建築が構造重視にシフトしていた時代の中で、より哲学的・精神的な観点から「人と建築」について勉強し、理解を深めました。
そして卒業後、深瀬啓智氏が設立した蔵王建築設計事務所で医療福祉施設の設計に携わったことで一層、「人間のための建築」を意識するようになります。「社会的弱者に対する視線を学んだ時期でしたね。何のためにつくるのか、誰のための建築なのか。深瀬さんからは、『建築家のやりたいことをやるんじゃない! あくまでも核となるのは使う人』と口酸っぱくいわれたものです」と当時を振り返ります。
自然光を採り込むデザインで
日々の生活に感動と豊かさを
39歳で独立し、松本純一郎設計事務所を設立。これまで教育施設や記念館等々、さまざまな建築を設計してきましたが「住宅設計は建築家にとっての原点」と松本さんは考えています。住まいは人が生きていくための拠点であり、人間にとって一番身近な空間。だからこそ、「快適便利であるだけでなく、気持ちが豊かになる空間づくり」にこだわってきました。
では、「気持ちが豊かになる空間づくり」とは何か?松本さんはそのポイントとして「自然光」を挙げます。きっかけは、30代の時に訪れた名建築、ルイス・カーン設計のキンベル美術館での衝撃。テキサスの力強い太陽光をうまく採り入れた設計を目の当たりにした松本さんは「身震いするほどの感動を経験した」といいます。空間の中で日々刻々と変化する光と、そこから生み出される感動のシーン。以来「自然光をどう採り込むか」は、松本さんが建築物を設計する上での大きなテーマとなりました。
一昔前までは、光を採り込む大開口や吹き抜けなどの大空間を提案しても「冬寒そう」「照明を取り替えるのが大変」と敬遠されがちでしたが、窓サッシやLED照明などの技術が進化した現在は、「光を採り入れた設計の自由度が、格段に向上した」と実感しています。
より良い住環境の構築が、
建築家の使命
JIA東北支部長をはじめ、東北支部復興支援委員長も務めた松本さんは、災害公営住宅の設計に加え、新たなコミュニティ形成への配慮や住環境整備など多方面に尽力してきました。特に震災復興活動を通じた出会いや、これまでにはない経験が、松本さんの心に深く刻まれることになります。
「震災以降、若手建築家たちは自ら復興支援活動に精力的に取り組み、地域再生のため本気で切磋琢磨していました。その姿には本当に感動した。非常に刺激をうけました」。地域の人々の想いを汲み取り、多くの人が協働して住環境をつくり上げていくことが建築家としての使命。建築とは、その空間が人に影響を与え、外観が街並みに影響を与えるものであり「だからこそ、我々設計者の社会的責任は大きい」といいます。
松本さんが考える良い建築デザインとは、総合的なバランスが優れていること。性能・機能・意匠・環境との関係性など考えるべきエレメントがさまざまにある中で、ひとつの視点だけに偏らず、全体として違和感なく調和することが大切だと考えています。「今後も意匠だけでなく、日本古来の文化や地域性、風土に対する愛情にも目を向けていきたい。社会に役立つ設計を手がけたいと思っています」と意欲を語ってくれました。
(文/関 洋美)